この記事で深掘りしたいのは 2つの本質的な問題です。
- ネット批判と現実の乖離
- SNSでの批判の在り方
事実関係の整理
きっかけ
先日の広島旅行VLOGで
生粋の広島人である同僚と
ローカルが行くお好み焼きやさんで
お好み焼きを食べる様子をアップしました。
その中で
「広島焼き」と
一言言っただけで…
批判コメント
「広島焼き」と言うな!
全広島県民を敵に回す気か!?
というコメントをいただきました。
きた瞬間思ったことは
チッ、うっせーな
と国母くんの真似をしたかった感じです。
なぜ返信したのか
通常なら
こう言うコメントがきたら
即ブロックしています。
自身のYouTubeチャンネルで
私は攻撃的なコメント、
分断を煽るコメント、
内容を理解していないコメントは
すぐにブロックしています。
なぜなら
「嫌なら見るな」がYouTubeの基本だからです。
私自身、誰かに対して
攻撃的な内容は発信していないつもりです。
(今回のブログは完全にネタにしています)
しかし今回はこんなコメントに対しても
生粋の広島人と食べに行きましたよ!何も怒られませんでした。これについてはこちらのPodcastも聴いてみてください
って返信してしまいました。
返信したことについて
反省していますし
今後こういうコメントが来たら
思考停止してブロックすることを誓います。
だって
意味ないって確信したから。
コメント返信してしまった経緯。
理由はシンプル:
- 今回は生粋の広島人と行った
- 「広島焼き」という呼び方の話も同僚や店主とした
- 同僚も店主も「呼び方はどうでもいい。味が大事」と言っていた
広島での呑みの席で
お好み焼き広島焼き論争について
酒の肴で同僚と話したのですが
同僚は
「よくその議論があるけれど、正直広島の人は気にしてない。
言い方とかどうでもいい。美味しいかどうかが大切」
って言っていて
確かにそうだとと思いました。
その店の店主も
同じように言っていました。
「そもそも違う食べ物やし、お互いが好きなように呼んだらいい」と。
ようするに
本当にお好み焼きが好きな人は
広島焼きかお好み焼きかで怒っている人なんかいないってことです。
私、すごく納得して
こういうポッドキャストも収録しました。
食べ物の呼び方なんて
好きに呼んだらいいし
それを他人に強要するものでもない。
好きにしたらいいんですよ。
衝撃の展開:コピペ論争
私の返信への反応
ここからが本題。
相手は何と…
長文のコピペで返してきました。
いや、長い長い!!
長いって!
しかも
コピペかぇ!!!
おい!!!
長えよ!
長いしコピぺってなんやねん!
こっちも実体験で返信してんねんし、
お前もちゃんと自分の言葉で返せよ!
なんでコピペやねん!!
絡んできたなら人の言葉でなく
実体験を伝えて
自分の考えて返信せえよ!
恥ずかしくないんんか?
って
弟が言っていて
なるほどなと思いました。
コピペ内容の矛盾点
まずこの時点ですぐにブロックとミュートしました。
もう話し合える相手ではないからです。
しかし
せっかくブログネタにしているので
めんどくさいですが
私が改行等整理してアンサーしていきます。
めんどくさいですが。
以下コピ
広島焼きに対する広島県民の思い 「広島焼き」という呼び方、広島県民はなぜ不愉快に思うのでしょうか?
これは、広島県民の多くが抱く、愛着のある郷土料理に対する深い思いが背景にあります。
「広島焼き」という名前が、広島のお好み焼きを他の地域のものと区別し、矮小化しているように感じる
広島のお好み焼きは、重ねて焼き上げる独特のスタイルや、そばやうどんを麺として使うなど、他の地域のお好み焼きとは異なる特徴を持っています。
「広島焼き」と呼ばれることで、これらの特徴が軽視され、他の地域のお好み焼きと「同じようなもの」と見られてしまうことに抵抗を感じる人が多いです。
「広島を焼いた」というようなネガティブな連想をしてしまう
「広島焼き」という言葉から、広島が何かを焼かれた、というような誤解や、過去の悲しい出来事を連想してしまう人もいます。
「広島風お好み焼き」という呼び方が一般的であり、わざわざ「広島焼き」と呼ぶ必要性を感じない
「広島風お好み焼き」という呼び方がすでに定着しており、わざわざ「広島焼き」と呼ぶことで混乱を招いたり、地域住民の感情を傷つけたりする可能性があります。
広島県民が求めているのは、広島のお好み焼きの独自性と魅力を正しく理解してもらい、尊重することです。
「広島焼き」という言葉を使う際には、以下の点に注意しましょう。
「広島風お好み焼き」という呼び方を使うより正確で、地域住民の感情を傷つけにくい表現です。
広島のお好み焼きの特徴について詳しく説明する
重ねて焼き上げるスタイルや、そばやうどんを使うなど、広島のお好み焼きの独自性を伝えることで、より深い理解を得ることができます。
広島県民の思いを尊重する 「広島焼き」という言葉を使うことに抵抗を感じる人もいることを理解し、配慮することが大切です。
まとめ 「広島焼き」という言葉は、広島県民にとっては単なる食べ物ではなく、郷土の誇りであり、文化そのものです。この言葉を使う際には、その背景にある歴史や文化、そして地域住民の思いを理解し、尊重することが大切です。
1. 「矮小化」問題
→むしろ区別することで、独自性を認めているのでは?
2. 「特徴の軽視」矛盾
→「お好み焼き」と一括りにされるほうが特徴は消えますよね?
3. 「広島を焼いた」というようなネガティブな連想をしてしまう
深読みの危険。→これは食文化の議論から完全に逸脱している。
で、
あなたのコピペの最後
まとめ 「広島焼き」という言葉は、広島県民にとっては単なる食べ物ではなく、郷土の誇りであり、文化そのものです。この言葉を使う際には、その背景にある歴史や文化、そして地域住民の思いを理解し、尊重することが大切です。
→え?「広島焼き」と言う言葉は郷土の誇りで文化そのものなんかい!
認めてるんかい!!
もう一度言います。
お前のコピペ
「広島焼き」という言葉は、広島県民にとっては単なる食べ物ではなく、郷土の誇りであり、文化そのものです。
もう一度言いますね
お前が俺のコメント返信にしてきたまとめに
「広島焼き」という言葉は、広島県民にとっては単なる食べ物ではなく、郷土の誇りであり、文化そのものです。
って書いてるで!!
ちゃんと見て!!
ちゃんと読んでから書いて!!
一応間違っていないか
ChatGPTにも聞きました
ってことで
言いたいことは
批判するならコピペするな
コピペするなら
ちゃんと意味を調べて
否、
ちゃんと読み返してから使った方がいいです。
「広島焼き」と言われることが嫌な人もいる
私は好きな呼び方で呼んだらいいやん派なんですが
それによって嫌な思いをする人がいるなら
「広島焼き」っていうのはやめようと思います。
ただ
こうやって
「広島焼き」と言うな!全広島県民を敵に回す気か!?
と、言葉尻をとって
排他的な考えをする人がいるところには
行こうとは思いません。
今回の広島旅で
広島の人はみんな優しいってイメージを持ちました。
しかし
今回のコメントで
広島ってそういう排他的な思想な人もおるんや
ってイメージもつきました。
私は排他的な考えの
めんどくさい人がいる土地や店には
行こうとは思わないので
次回の広島旅ではお好み焼きやに行くのはやめます。
(広島の友人が連れて行ってくれる店に行きます)
こう言うふうにからんでこられると
めんどくさいんで。
そうやって他者を排他して
自分たちだけでやっていればいいと思う。
って弟が言ってました。
自分たちで孤立や矮小化にしていることに
気がついていないのは可哀想です。
私は「広島焼き」でキレる人のところには行かない。
わざわざ「広島焼き」と呼ぶことで混乱を招いたり、地域住民の感情を傷つけたりする可能性があります。
については
実際に地元の人と「広島焼き」について話して
全くなにも思っておられなかったという実体験があるので大丈夫との認識です。
ちなみそんなことでキレる人と一緒にご飯に行ったり
そのことでガタガタ言ううるさい店には行きません。
私と大切にしていることが違うからです。
大切なことはお店をやるなら美味いかどうか。
一緒に食べる人がそんなことでキレる人かどうかです。
新たな視点での分析
一応まとめます。
1. 批判の構造的問題
コピペという行為が示す 批判者の本質的な弱さ:
- 自分の言葉を持たない
- 経験より他人の言葉を重視
- 対話を拒否している
2. 文化論としての矛盾
「広島焼き」を否定しながら
文化として認める矛盾:
- 呼称を否定
- でも文化として主張
- 特別感を主張
- 論理的整合性の欠如
3. SNSの本質的課題
批判の場所と方法:
- 他人の場所で批判
→自分の場所で発信すべき - コピペによる批判
→実体験に基づく対話が必要
この論争が教えてくれたもの
- 実体験の価値
→ネットの知識より重要 - 対話の本質
→自分の言葉で語ること - 文化の受容
→固定観念を超えた理解
最後に重要なことは
YouTubeやSNSは「嫌なら見ない」が基本です。
それは自分の時間と
エネルギーを大切にするために
必要なことです。
そして
批判コメントをする場合は
自分の土俵、つまり自分のYouTubeチャンネルを作って
そこで自分の言葉で発信しましょう。
他人のチャンネルで暴れることは
他の人の家に土足で入ってきて
大暴れして正義を語っているのと
同じだからです。
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