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【日記47日目】義祖母の葬儀。悲しみの渦中にいる家族のために、夫が徹すべき「黒子」の流儀

2026年1月27日、火曜日。

義祖母が亡くなった。

先ほど、葬儀場との打ち合わせを終えて一息ついたところだ。

ここ4ヶ月で、身近な人を見送るのは2人目になる。

短期間にこれほど葬儀が続くと、

人は強制的に「死」というイベントの運営に詳しくなってしまう。

だが、その経験値は今、家族を守るために使うべきものだ。

目次

娘婿の役割は「一緒に泣くこと」ではない

徹底した「黒子」に徹する

今回の葬儀において、私が自分に課した役割は明確だ。

妻と義母を支える「黒子(くろこ)」であること。

愛する人を失った時、遺族は悲しむと同時に、膨大な「決定」と「手続き」に追われる。

・参列者のリストアップ
・香典返しの選定
・役所への届出

これらは、悲しみの淵にいる人間にとっては暴力的なほどのストレスだ。

だからこそ、私が動く。

運転手、飲み物の買い出し、親戚への連絡、受付の準備。

あらゆる雑務(ノイズ)を私が吸収し、

妻と義母には「故人と向き合う時間」だけを残す。

それが、今の私にできる最大の供養であり、愛だと思っている。

経験が「余裕」を作る

4ヶ月で2回目という現実

皮肉なことだが、

4ヶ月前の葬儀の記憶が新しいおかげで、流れが手に取るように分かる。

「次はこれが必要になる」

「ここで休憩を入れないと倒れる」

先回りして動ける自分がいる。

悲しい経験だが、無駄にはなっていない。

この「葬儀リテラシー」のおかげで、慌てふためくことなく、

どっしりと家族を支える柱になれている。

まとめ:安心して泣ける場所を作る

悲しむ役目は遺族に任せ、夫は環境を整える「黒子」になる。雑務を引き受けることが、最大のサポートだ。

もし身近に不幸があった時、周囲ができることは「言葉をかけること」だけではない。
「お茶を買ってくるよ」「車を出そうか」
その具体的な行動一つが、遺族の心の荷物を一つ降ろすことになる。

次回は、葬儀の合間にふと考えた「残された時間の使い方」について。
死を身近に感じることで、逆説的に「生」の解像度が上がる瞬間の記録。

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